江戸時代に日米の懸け橋となったジョン万次郎、帰国後のその後の人生とは…?(2)
ジョン万次郎、帰国後のその後の人生
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江戸時代に日米の懸け橋となったジョン万次郎、帰国後のその後の人生とは…?(1)
以前Japaaanで、漂流したところをアメリカ人船長に救助してもらった中浜万次郎(ジョン万次郎)とその時のアメリカ人船長の友情が170年以上たった現在でも続いているというエピソードを紹介しました。…
三十四歳にして通訳として咸臨丸に乗り込んだ中浜万次郎。
このとき、たまたま日本に滞在していた米国海軍・ブルック大尉とその部下たちも併せて乗船することになり、総数九十六名がサンフランシスコへ向かいました。ところが、航海中にひどいシケに遭い、日本人の士官や水夫が役に立たなくなってしまうという一大事が起こりました。
ブルックはこのとき、海舟に協力を申し出ますが、「この船はどうしても日本人だけの力で操りたい」とブルックの申し出を断ります。ところがシケはひどくなるばかり。海舟はやむを得ずブルックの協力をしぶしぶ受け入れました。
こののち、ブルックが艦長で万次郎は航海長という立場になります。万次郎は米国仕込みの航海術、そして元捕鯨船一等航海士という実力を如何なく発揮し、船の安全保持に努めました。
ちなみに、このとき、海舟は船酔いに苦しみながら艦長室で七転八倒したといいます。この出来事以来、日本人の士官や水夫の間で万次郎を見る目が変わりました。それまでは「たかが土佐の漁師あがりのくせに…」と軽く見ていた彼らも一転して万次郎を慕うようになりました。