江戸時代に日米の懸け橋となったジョン万次郎、帰国後のその後の人生とは…?(2):2ページ目
船が無事にサンフランシスコにたどり着くと、一段と万次郎の株は上がりました。異国の言葉や習慣が皆目わからない日本人は誰一人として、万次郎がいなければトイレにすらいくことができなかったのだから当然といえば当然です。
万次郎は、何かにつけて日本人士官たちに頼りにされるようになりました。
このように近代日本の幕開けに貢献した万次郎でしたが、帰国後に働き相当の役職が与えられることはありませんでした。士官たちは実際に船を操ったのがブルック大尉や万次郎たちであったことをひた隠しにしたからです。
士官たちは滞米中、さんざん万次郎たちの世話になっておきながら日本に就いた途端に万次郎に対する態度を一変させました。武士である彼らは土佐の漁師あがりに頭を下げ指示を仰いだことを認めたくなかったのでしょう。
また、これからの日本が欧米列強と対等に渡り合ううえで、航海中に日本人だけの手で太平洋を横断したという“事実”が必要だったのかもしれません。
航海に同行した福沢諭吉でさえ、『福翁自伝』の中で、日本人士官たちの手でこの快挙を達成したと強調しています。いずれにせよこうして万次郎は身分の壁が厚い封建制社会の中で大きく飛躍する機会の種を摘み取られてしまったのでした。