かつて日本にも存在した「海賊」の終焉…秀吉が「海賊停止令」の3択で迫った完全服従の真相
かつて日本の海には、独自の掟と圧倒的な武力で海域を牛耳る「海賊」たちが実在していました。
しかし天正16年(1588年)、天下人・豊臣秀吉が発した一つの法令が、彼らの歴史に決定的な終止符を打つことになります。それが「海賊停止令(かいぞくちょうじれい/ていしれい)」です。
海賊たちは、なぜ秀吉の前に屈服し、姿を消していったのか?この海賊停止令とは、一体どういう内容だったのでしょうか。
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「豊臣政権に服属せよ」
海賊停止令の内容は、以下の3ヶ条となっていました。
一つ、現在独立している海賊勢力は、大名として豊臣政権に服属すること。
一つ、大名として所領を統治することが出来ない海賊勢力については、他の大名家に臣従すること。
一つ、大名にも家臣にもなれない/なりたくない海賊勢力については武装解除の上で解散し、帰農(帰漁)すること。
ざっくりまとめると「今までのような好き勝手は許さない」ということでした。もちろんこれら3ヶ条に従った後で、海賊行為に及ぶことも禁じています。
各海賊勢力は3ヶ条の上どれかを選んで誓紙を差し出し、豊臣政権下に組み込まれていきました。
ちなみに海賊停止令とは歴史学上の便宜的な呼称です。他にも海賊禁止令・海賊鎮圧令・海賊取締令など様々な呼称がありますが、いずれも同じものを指しています。
2ページ目 刀狩令と同年に発した理由は?秀吉が描いた「2つの目的」
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