かつて日本にも存在した「海賊」の終焉…秀吉が「海賊停止令」の3択で迫った完全服従の真相:2ページ目
海賊停止令を発した二つの目的
秀吉が刀狩令と同じ年に海賊停止令を発した目的は、大きく以下の二つでした。
その一つ目は、もちろん兵農分離(兵漁分離)です。海賊たちの多くは専業していた訳ではなく、普段は漁業などに従事していました。
戦が始まると呼ばれたり自発的に乗り込んだりしたほか、縄張りをカモが通ると、航路をふさいで警固料や通行料を要求したのです。
もちろん支払わなければ身の安全は保証しません。武力にモノを言わせて略奪を行い、時には命さえ奪ったことでしょう。
そんな危険な海域を無事に通りたければ、相応の対価を支払ってもらおう……それを海域を危険にしている張本人が言っているのですから、自作自演もいいところです。
こういう状態が蔓延すると、国内の交通や流通が滞り、経済がうまく回りません。
そこで秀吉は海賊たちを公権力に組み込むか、武装解除させて安全確保を図ったのでした。
もう一つの目的として、海上インフラの確立が挙げられます。
海賊たちは国内だけでなく、海外に及ぶ交通ルートを開拓している者もいました。かつて大陸沿岸を荒らし回った倭寇などはその典型例と言えるでしょう。
先ほどもふれた通り、海賊が跳梁跋扈している状態では流通経済の発展に支障が生じてしまいます。
またこの時期の秀吉は大陸征伐(李氏朝鮮・明・天竺など)も考えており、海上インフラの整備は野望を果たす上で必要不可欠でした。
もちろん戦うだけでなく国際貿易も視野に入れていたことから、安全な海上インフラを担う人材を確保したかった狙いも考えられます。
終わりに
今回は豊臣秀吉が発した海賊停止令について、その内容と目的を紹介してきました。
陸上の農民に対しては刀狩令、海上の漁民に対しては海賊停止令を発して兵農分離と社会基盤の安定を図ったことがわかります。
果たして大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、この海賊停止令がどのような形で発せられるのでしょうか。今後も楽しみに見守りたいと思います。
※参考文献:
- 『国史大辞典』吉川弘文館、1983年2月
- 『日本史総合辞典』東京書籍、1991年11月
- 藤木久志『豊臣平和令と戦国社会』東京大学出版会、1985年5月

