死後に“大事件”を起こした男・大久保長安とは?金銀山で巨富を生んだ「天下の総代官」の栄華と転落【後編】
安土桃山時代から江戸時代初期ごろにかけて活躍した武士のひとり・大久保長安について、前編では彼の幼少期から武田家・徳川家に仕えるまでの歩みをご紹介してきました。
死後に“大事件”を起こした男・大久保長安とは?家康に才能を買われた異色の武士【前編】
安土桃山時代から江戸時代初期ごろにかけては、多くの武将・武士たちが活躍しました。今回の記事では、それほど知られているわけではないけれど、波乱万丈な人生を送った大久保長安(おおくぼながやす/ちょうあん)…
後編では、彼の大きな功績のひとつである金銀山の開発、そして彼の人物像がわかるような逸話や事件などをご紹介します。
金銀山の開発でも力を発揮
武田家に仕えていたときの功績が認められ、大久保長安は徳川家康から石見銀山検分役、佐渡金山接収役に任命され、鉱山経営に携わっていきます。甲州流の採鉱法を導入し、横穴を掘り進める坑道掘りにより、鉱脈を広く深くたどっていくことに成功。
石見銀山では、ポルトガルから伝わった「水銀流し」という「アマルガム法」を利用し、膨大な量の銀を生産しました。
長安なりの人脈の広げ方
優れた採掘の方法を用いた彼ですが、組織を率いていくことや、人脈を広げることも得意でした。鉱山では、優秀な山師を配下に置いて差配し、効率よく開発・生産を進めていきました。
また、政略結婚にも積極的で、彼の息子7人を石川康長や池田輝政の娘たちと結婚させました。また、家康の六男・松平忠輝と伊達政宗の長女・五郎八姫の結婚交渉を取り持ち、忠輝の岳父が政宗となったため、伊達家とも親しい関係を築いていたようです。こうした人脈の広げ方から、長安は「天下の総代官」と呼ばれました。
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