源義経はなぜ兄・源頼朝に殺されたのか?後白河上皇との接近が招いた必然の悲劇
排除された英雄
源義経といえば、源平合戦を勝利に導いた最大の功労者として有名ですね。壇ノ浦での鮮やかな勝利は、彼なしでは成し遂げられなかったでしょう。
しかし、兄の源頼朝は幕府の成立を目前にして、実の弟をあっさりと殺害します。この非情な決断は、日本史における最大の謎として語られてきました。
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義経は幼いころに頼朝と生き別れ、奥州の藤原秀衡のもとで育ちました。兄の挙兵を知るやいなや、彼は一目散に駆けつけ、戦場を駆け巡ります。
頼朝が鎌倉で政治の基盤を固める間、義経は最前線で勝利を重ねました。その活躍ぶりは、まさに源氏の天下を決定づける原動力となったのです。
ところが平家が滅亡すると、頼朝の態度は急変し、義経を追い詰め始めます。その理由については、長らく日本史上最大の謎のひとつとされてきました。
しかし、頼朝が義経を消さねばならなかった理由は、極めてドライな政治論理の視点から見れば理解できなくはありません。
頼朝の情に流されない冷徹な計算こそが、鎌倉幕府を誕生させた原動力でした。ならば彼が義経を消した理由も、やはり冷徹な計算の結果だったのでしょう。


