拷問の名手・中山勘解由、庶民の英雄・大岡越前~江戸時代の治安を支えたレジェンドたち
「鬼勘」の功績
江戸時代の治安は、名奉行や火付盗賊改の長官たちの活躍によって支えられていました。
特に中山勘解由、大岡忠相、根岸鎮衛、遠山景元といったリーダーたちは、江戸の街を守り、庶民から敬慕されていました。
本稿では、江戸の治安を支えた彼らの活躍・功績と、その背景にある歴史を紐解きます。
260年以上続いた江戸時代、公務員として江戸の町の治安を守った人と言えば長谷川平蔵ですが、それ以外にも庶民から支持された名奉行や火付盗賊改の長官がいます。
例えば、火盗改が生まれた当初に大活躍したのが中山勘解由直守(なかやま・かげゆ)(1633~1687)です。
天和3年(1683)、連日5~9件の不審火が発生。この時、御先手組鉄砲頭だった中山勘解由が配下の与力・同心を指揮して不審者の取り締まりにあたるように命じられました。これが火盗改の始まりとなります。
当時、放火を繰り返していた盗賊団に、鶉権兵衛を首魁とする一味がいました。江戸市中の複数箇所に放火をして、その混乱に乗じて金銀を盗み出すというのが彼らの手口でした。
中山は探索の末に一味を捕らえ、厳しい取り調べで罪状を自白させます。彼は拷問の一種である海老責めを考案した人物で、市中に横行する無頼者を次々に捕らえて苛烈な取り調べをして処刑したことから、鬼勘と呼ばれ恐れられました。
むち打ち、海老責、釣責…想像したくもない江戸時代の残酷でキツすぎる拷問の数々
何か事件や事故が起きたとき、現代において重視されるのは証拠でしょう。しかし、江戸時代においては、自白重視。犯罪を認定するためには、自白が必須だったと言われています。しかし、そう何でもかんでもみ…
中山はその後、大目付になり家柄以上の出世を遂げました。19世紀半ばに編纂された『青標紙』には、功績を上げた火盗改の代表として、長谷川平蔵とともに中山勘解由の名が挙げられています。

