拷問の名手・中山勘解由、庶民の英雄・大岡越前~江戸時代の治安を支えたレジェンドたち:2ページ目
大岡越前の実績
時代劇でその名を知られる大岡越前守忠相(1677~1752)もまた実在の人物であり、長谷川平蔵はこの名奉行になぞらえて今大岡と呼ばれました。
つまり大岡越前は、その後の庶民のヒーローのモデルとなる人物だったのです。
徳川幕府では、一度知行高を与えるとその子孫が引き継いでいくため、歳出がどんどん増えていきます。そこで八代将軍・徳川吉宗は、役職の在任中のみ知行高を上乗せする足高の制を定めました。
もともと家格がそれほど高くなかった大岡忠相が、要職である町奉行に抜擢されたのも、足高の制の成立の契機となった人事といえます。彼の功績は、法律さえ変えてしまうほど目覚ましいものだったのでしょう。
享保2年(1717)、大岡忠相は40歳の若さで南町奉行に抜擢されると、米価安定のための貨幣の改鋳・問屋制度の改革・町火消「いろは四十七組」の創設・貧窮者の施療施設である小石川養生所の開設など、江戸庶民のためのさまざまな施策を推し進めました。
