すっ飛んだ2年間を補足、清少納言・爆誕!伊周と道長の弓競の実際…大河ドラマ「光る君へ」4月14日放送振り返り
妹である皇太后・藤原詮子(吉田羊)を退け、一条天皇(塩野 瑛久)の外戚として権力をほしいままにする藤原兄弟の長兄・藤原道隆(井浦新)。
次兄の藤原道兼(玉置玲央)は後継者争いに敗れてやさぐれ、異母兄の藤原道綱(上地雄輔)は頼りにならない……道隆の暴走を止められず、忸怩たる思いを抱える藤原道長(柄本佑)は、甥の藤原伊周(三浦翔平。道隆長男)に弓競を挑まれました。
伊周「怖気づかれずともよろしいではありませんか、叔父上」
最初は手加減してやっていた道長。しかし互いに願掛けをしながら矢を射たところ、道長が勝利して文字通り一矢報います。
一方、まひろ(紫式部/吉高由里子)は弟の藤原惟規(高杉真宙)が晴れて擬文章生となったことを素直に喜べません。
気晴らしに妹分のさわ(野村麻純)と石山詣でに出かけ、ベストセラー?エッセイ『蜻蛉日記』の作者・藤原寧子(右大将道綱母/財前直見)と出会ってテンションが上がります。
実は兼家がスポンサー!?後世の文学に影響を与えた藤原道綱の母による『蜻蛉日記』について知ろう
しかし自分の知らないところで何かあり、さわを傷つけてしまったようで……そんな第15回放送「おごれる者たち」でした。
それでは今週も、気になるトピックを振り返っていきましょう!
正暦2年(991年)から正暦4年(993年)……すっ飛んだ2年間を補足
字幕「正暦四(993)年」
ナレーション「2年が過ぎ、摂政・道隆のもと、道兼は内大臣に、伊周は、道長と並ぶ権大納言に。道綱と公任は、参議となっていた」
道長に励まされ、道兼が泣いていた直前のシーンから2年の歳月が流れました。
ストーリーの進行上、あまり大きな動きがない時代をすっ飛ばすのは無理もありません。
でも、ここではすっ飛ばされた2年間に何があったのか、ざっくり見ておきましょう。
正暦2年(991年)
- 2月12日 円融院(坂東巳之助)が崩御。
- 9月16日 円融院の崩御にともない皇太后の藤原詮子が出家。
- 一条天皇が東三条院の称号を宣下。史上初の女院号に。
正暦3年(992年)
- 1月 道長長男・藤原頼通が誕生(母:源倫子)。
- 時期不詳 道長の次男・藤原頼宗が誕生(母:源明子)。
- 時期不詳 一条天皇の発願により、正暦寺(奈良県菩提山町)が建立される。
建立には兼俊(けんしゅん。亡き藤原兼家の子。道長の異母兄弟)が貢献。
詮子が出家し、道長の子が相次いで出産……。
かなりの重要トピックな気がするものの、とにかくいいからすっ飛ばします。
劇中、源明子(滝内公美)が妊娠していたのは、さらに次の子を産もうとしているのでしょうか。
あるいは頼宗誕生の時系列をいじったのでしょうか。
ちなみに、道長の正室である源倫子(黒木華)と側室の源明子は、競い合うようにそれぞれ6人数も子供を産んだのでした。
その内、何人が大河ドラマに出てくるのか注目ですね。