実は対立関係だった2人…松平信康が自害に追い込まれたのは親子間の不仲が原因だった?!【どうする家康】
『どうする家康』23話「瀬名、覚醒」を経て、徳川家康とその嫡男松平信康との対立が明白になってきました。劇中では瀬名姫が武田家と関係性を築き、それが後に内通として疑われ、信康切腹事件を迎える通説通りの結末となるのだと思われます。
しかし、実際には武田家の内通ではなく、親子間の不仲がこのような事態を招いた有力な説としてあがっています。
では、その説が有力な説としてあがった理由は何だったのでしょうか。今回は、信康の性格と信康切腹事件が起こった原因を含めて理由をご紹介します。
信康の性格
信康は、武勇に秀でていたと記録にあります。それを裏付けるように、話すことは常に戦のことばかりで、乗馬と鷹狩を主にしていました。その反面、粗暴な面も目立ち、家康の悩みの種となっていました。
それが悪い方向に向かってしまった逸話として、領内の盆踊りの際に貧相な者や踊りの下手な者を面白半分で射殺し、殺したのは敵のスパイだったと言ったこと。鷹狩の際に、僧侶に出会うと獲物が取れなくなるという迷信を信じたが故に、出会った僧侶の首を絞めて殺害したことがあげられます。
まさに信康は勇猛でありながら、思慮に欠けた人物だったと言えるでしょう。