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北条氏のあやつり人形…鎌倉幕府は頼朝・頼家・実朝の後、実は6人も続いていた!すべての名前を言える?

北条氏のあやつり人形…鎌倉幕府は頼朝・頼家・実朝の後、実は6人も続いていた!すべての名前を言える?

「鎌倉幕府の将軍」と聞いてすぐに頭の中に浮かぶのは……源頼朝みなもとのよりとも
)。そのあと、二代・頼家(よりいえ)、三代・実朝(さねとも)と続くことができる貴方は歴史マニア!?

「その後の将軍は?」と聞かれてすぐに名前をいえる貴方は相当の歴史通といっても良いかもしれません。そのくらい、鎌倉幕府は将軍実朝の後も続いていたということを知る人は多くないでしょう。

実朝の後も鎌倉幕府は続き、しかも6人の将軍がいたのです。三代・実朝までと違って、彼らの印象が薄いのは、彼らが源氏の直系ではない「お飾り」の存在だったからです。

1219(承久元)年、甥の公暁(頼家の子)に実朝が殺された後、四代将軍に迎えられたのは頼経(よりつね)でした。

頼経は頼朝の姪の孫なので、厳密には頼朝の五親等に当たるわけですが、執権として幕府の実権を握っていた北条氏からすれば将軍職に就くものは頼朝の血をひくものでなければならないのは当然のこと。そうでなければ幕府がまとまらないからです。

迎えられた頼経は当時、数えで二歳の子どもにすぎず、正式に将軍となったのも七歳のときでした。彼が成長していく中で自我が芽生え、政治権力を手中ににしたい欲求が高まってくると北条氏にとっては邪魔以外の何物でもなくなってきます。おこで頼経は1244(寛元二)年、将軍の座を子どもの頼嗣に譲ることを強いられるのでした。

2ページ目 その後の鎌倉幕府の将軍一覧

 

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