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壮絶すぎる…江戸時代の出産が超命がけ。恐るべし江戸時代の母ちゃん!

壮絶すぎる…江戸時代の出産が超命がけ。恐るべし江戸時代の母ちゃん!

今秋、「出産」をテーマとした大人気マンガ「コウノドリ」のドラマが約2年ぶりに始まりました。「出産って、今でもこんなに大変なのに、昔はどうしていたんだろう・・・」と考えた事はありませんか?今回は江戸〜明治期の出産に関する文献を参考に、先端医療のなかった時代の出産を探ります。

先生は呼ばず、産婆さんを呼ぶ

「大名を 胴切りにする 子安婆」

さてこの川柳、どういう意味でしょう?「子安婆」とは、産婆さんのこと。他には「取り上げ婆」とも呼ばれていました。「大名を胴切り」というのはつまり、江戸時代他の何人たりとも横切る事のできなかった大名行列を、産婆さんだけは横切ってOKだったのを面白がって詠んだ句なのです。

当時は出産の場に男性は基本立ち入り禁止で、産科医を呼ぶ事は少なく、ほとんどが産婆さんのみの立会いのもとで出産をしました。江戸時代ではコウノドリ先生出番なし、というわけですね。

それにしてもその産婆さん、資格もないためかなりアヤシイ人が多かったよう。なりふり構わず汚い身なりで来るから、「取上婆 目やにだらけな 顔で来る」なんて川柳も。それだけならまだしも、元禄時代の書物「婦人寿草」によると、産婆さんはよく酒を飲み、性格も剛胆な人が多く、酒臭い産婆さんはざらにいたそうです。大丈夫かなあ・・・。

出産風景

さて、現場はどうだったのでしょう。産室には盥や簡易便器、白い晒し木綿や、汚れを受ける油紙などを事前に用意しておきました。現在は分娩台に横になるスタイルに見慣れてしまっていますが、江戸時代の出産はなんと、横になっては駄目で、座るかしゃがむ体勢が普通でした。

産婦さんは図のように折った布団などにもたれて座ります。痛みが増すと天井から垂らした「産綱」や「力綱」と呼ばれる綱(これは旦那さんが事前につけてくれたりしたそう)につかまってしゃがみ、時にはぶら下がったりして体勢を変えながら耐えたようです。産婆さんは、時には後ろから支えたり、産婦さんのサポートをしました。

しかも、江戸時代には出産時に声を出す事は恥とされており、産婦さんは静かに歯を食いしばって出産したといいます。

これを裏付けるエピソードとして、明治初期に日本に滞在したフランス海軍士官モーリス・デュバールの体験談があります。デュバールがとある日本政府高官の屋敷に宿泊した翌朝、その家の主人が言うには、「昨日はお耳障りでしたでしょう。家内が男の子を産んだのです」。それを聞いたデュバールは信じられない気持ちでした。なぜなら出産につきもののうめき声や辛そうな声が夜間一切聞こえなかったからです。彼は産後の夫人に会ってその事を賞賛しましたが、夫人は「こんな事で声を出すのは馬鹿です」と言ったとのこと(渡辺京二「逝きし世の面影」より)。

恐るべし、江戸時代の母ちゃん!

2ページ目 お産を終えても、女性には辛い日々が続きました

 

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