酔っ払いに喧嘩にケガ人も続出!大騒ぎだった明治時代のお花見
3月も半ば過ぎ。桜の開花予想も発表され、東京はあと1週間もすればお花見シーズン突入です。お花見シーズンに入ると、何かと話題に上がるのが花見客のマナー。それは江戸時代も明治時代も変わりませんでした。
江戸時代の上野は今ほど賑やかではなかった?
現代のお花見スポットといえばどこを思い浮かべますか?都内であれば目黒川沿い、千鳥ヶ淵、新宿御苑などでしょうか。明治時代から変わらないお花見スポットの1つに上野公園があります。お花見シーズンになるとテレビ番組では、上野公園の花見客にインタビューする映像が毎年流れますね。
上野公園はもともと徳川家の菩提寺である寛永寺の土地。戊辰戦争では戦場となり、焼け野原になりましたが、明治時代に入ってから政府が公園として開放しました。
上野は江戸の頃から桜の名所。上野は幕府によって、お花見のルールが定められていて、桜の木の下では飲食禁止・鳴物の演奏禁止・午後6時には強制退場というルールがありました。
しかし上野のようにルールが無かった場所では、桜の木の下に広げた毛氈の上でお重を開き、三味線を弾き、時はコスプレまでして大いにお花見を楽しみました。
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