
徳川吉宗の視点でかんたん解説!8代将軍継承問題と大奥のドロドロ派閥抗争 その1
以前の記事で6代将軍の正室・天英院と側室・月光院の争いを2回に渡ってご紹介しました。
6代将軍の正室・側室の派閥抗争は6代将軍の時代だけで終了・・・かと思いきや、さにあらず。紀伊徳川家の宗家を継いだ吉宗が8代将軍に就任するまで、大奥の泥沼の戦いは続いてゆくのです・・・。
今回はのちの暴れん坊将軍こと徳川吉宗に視点を移して、8代将軍継承問題と大奥の派閥抗争についてご紹介します。
賢君・吉宗誕生
さて、7代将軍・家継の死から遡る事33年前。紀伊徳川家の片隅で、ひっそりと1人の男の子が誕生しました。この人物こそのちの8代将軍・吉宗です。
当時の紀伊徳川家には後継候補の長兄と次兄がおり、しかも吉宗の母は身分がとても低かったために将軍どころか紀伊藩主になれる可能性もほぼゼロ。14歳の時に当時の将軍・綱吉から越前丹生の3万石を賜り、それだけで終わるはずの人生でした。
ページ: 1 2