女性天皇と愛人関係に!奈良時代の僧侶「道鏡」の悪評、実はとんだとばっちりだった…
道鏡とはどんな人物か
奈良時代の僧侶・道鏡は、天皇の寵愛を利用して皇位簒奪を図った人物として知られています。
そのため彼は、権力欲にまみれた朝廷の敵として長年イメージされ続けてきました。彼は女性天皇と愛人関係になって彼女を意のままに操ったとして、そのたくらみは歴史上、厳しく糾弾されてきたのです。
しかしこの見方はすでに古いものです。
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そもそも、道鏡はどんな人物なのでしょうか。そして歴史上、どのような事件を起こしたとされてきたのでしょうか。『続日本紀』によると、そのいきさつは以下の通りです。
彼は河内国(大阪府)出身の僧侶だとされており、若い頃から全国諸寺で修行を積み、内道場(宮中の仏殿)への入場を許可される高僧となりました。
そんな折、朝廷が政争に明け暮れるなかで即位した孝謙は、豪族から猛反発を受けてすぐに皇位を譲ってしまいました。
度重なる政争の影響か、彼女は病を患いました。そんな孝謙を癒したのが道鏡でした。道鏡は彼女を親身に看病して、強い信頼を得ることになったのです。
この状況を危惧した藤原仲麻呂は、道鏡排斥などを目的として挙兵しますが、反乱は失敗。仲麻呂を支援していた淳仁天皇は廃位されて淡路へ配流となり、上皇が再度即位(重祚)して称徳天皇となりました。
称徳の治世下においても、道鏡は贔屓されて権力を集中させていきます。やがて太政大臣禅師や法王の地位を得た道鏡は、宇佐八幡宮による「道鏡を皇位につかせよ」という神託を利用し、天皇の地位を狙いました。
しかし、和気清麻呂が道鏡即位を否定する新たな神託をもたらしたことで、狙いは失敗。天皇が崩御すると道鏡は失脚しました。
以上が、『続日本紀』に基づくかつての通説でした。
しかし『続日本紀』は朝廷主導で奈良時代の歴史を描いた正史で、平安時代初期に編纂されたものです。その記述の信憑性については疑わしいところもあります。