なぜこんなところに!?小さな石祠が物語る「日本と鎌倉の激動期」を紹介:2ページ目
むかし昔、三つの神社がありまして……
その前に、まずこの辺り(鎌倉市小袋谷)の地図を見ておくと、話が理解しやすいと思います。
地図の概ね中央から上寄り、弁天社跡とあるのが現在の第一鎌倉踏切、その北東に成福寺(じょうふくじ)を挟んだ亀甲山(きっこうさんorかめのこやま)の上に、応神天皇(おうじんてんのう)をお祀りする八幡社(現:厳島神社)が鎮座していました。
この両社は成福寺の鬼門(北東)と裏鬼門(南西)を守護するために創建されたものと考えられ、こうしたところにも神仏習合(神道と仏教の融合)の名残が見られます。
その弁天社から道路に沿って少し進むと、弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと。倭建命の妃)をお祀りする吾妻(あづま)社が鎮座していましたが、現在は小袋谷町内会の公会堂となっています。
ちなみに、この第一鎌倉踏切から南北に細くのびている道路ですが、これでも古くからの歴史ある街道で、かつて鎌倉に幕府があったころ、御家人たちが参府(さんぷ。幕府に参ること)のために通った道と伝えられています。