雛飾り、本来は左(向かって右)が男雛。現在は右に座する関東雛が優勢なのは何故?:5ページ目
元禄雛(げんろくびな)
元禄(1688~1703)時代に作られたもので、寛永雛に似ていますが一回り大きくなりました。寛永雛と同様に男雛の頭は冠と一体の木彫、女びなは両手先がつき、衣服は十二単に変化。ただし冠は無く、黒髪の垂髪(下げ髪)が描かれました。また、紅花染めの平織りの袴を着けました。
享保雛(きょうほびな)
享保(1716~1736)時代に京都で生まれて各地に広まりました。
雛は36センチを超えるなどすこぶる大きくなりましたが、享保6年の幕府お触書により、大きさを8寸(24センチ)以下と定められました。いわゆる「贅沢禁止令」の一つですね。
男雛は束帯(男子が参内する際に着用した正式の服装)で太刀を差して笏を手にし、女雛は平安時代の正装である唐衣(からぎぬ〈平安時代の十二単の一番上に着る衣〉)、五衣(いつつぎぬ〈下重ねの5枚の衣 〉)姿に。また、糸でできた髪の毛が作られ、女雛が冠を被るようになりました。
ちなみに前述の御触書により、今度は芥子雛というミニチュア化した精巧できらびやかな雛人形が流行ったとか。ただでは転ばぬ職人魂ですね。