本当に「少女を抱いた」のは…?坦山和尚が実践した「仏道」と「女人禁制」のバランス感覚:2ページ目
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困っているのが誰であろうと
「はっはっは!奕堂君は随分むっつりスケベだね。私がとっくに置いてきた少女を、まだ抱き続けているなんて……」
【原文】坦山からゝと笑つて曰く、ハ……君はまだ彼の少女を抱いて居るか僕はアノ時限りぢやはいと平然……(後略)
そう言われた奕堂は図星を射抜かれ、すっかり恥じ入ってしまいました。
坦山和尚はあくまでも少女が困っていたから助けただけ、必要だから抱きかかえただけで、それが少年であろうが老婆であろうが、一切心を乱されていませんでした。
一方で、奕堂は目の前にいたのが「少女」であったことに心がとらわれてしまい、その人が困っているにも関わらず、救いの手を差し伸べることが出来なかったのです。
自分が僧侶であるとか、困っているのが少女であるとか以前に、誰かが困っていたら助けようと進み出ることこそ仏様の御心に適う振舞いであり、坦山和尚は自然にそれを実践したのでした。
まとめ
そもそも、仏道に志すは何のためか。
時として女性の魅力が求道の妨げになってしまうこともありますが、老若男女・貧富貴賤にとらわれることなく、迷える衆生(しゅじょう)を分け隔てなく救うことこそ、その本懐。
「この人生において、本当に大切なことは何か」
それを決して見失うことなく、かつ教条主義にも走らず精進を重ね続けた坦山和尚の姿勢は、現代の私たちに生き方のヒントを与えてくれるでしょう。
※参考文献:秋山悟庵 編『坦山和尚全集』明治四十二1909年11月より。
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