医者としては失敗。しかし趣味の兵学で名前を遺した兵学者・大村益次郎:3ページ目
兵学者に転身する益次郎
経営が傾いてからは、益次郎は趣味の兵法書を読みふけっていたといいます。その結果、兵学者に転身し、長州征伐と戊辰戦争において長州藩兵を指揮し、見事勝利に導きました。
さらに明治維新後の日本の軍政の近代化にも尽力。明治政府の兵部省における初代の大輔(次官)を務め、「大日本帝国陸軍創設の父」とされています。大村の功績を称え、現在も靖国神社にはその銅像が建てられています。
大村益次郎は、確かに医者としては失敗してしまったかもしれません。ですが、趣味の兵学をとことんまで追求し、極めたからこそ、兵学者として大成したわけですね。