医者としては失敗。しかし趣味の兵学で名前を遺した兵学者・大村益次郎:2ページ目
3年で医院は廃業
益次郎は、蘭学によって得た人体の知識をふまえて患者に説明しますが、なかなか関心を持ってもらえません。村の患者が求めていたのは、「最新の医学」ではなく、健康上の悩みを親身になって聞いてくれる、話し相手としての医者だったのです。
さらに残念なことに、益次郎は人とコミュニケーションをとることが苦手だったようです。
患者が「お暑うございます」とはなしかけても、不愛想に「夏は暑いのが当たり前です」と返すだけ。益次郎が機嫌のよいときの返事が「そうです」だったというから、普段はどれだけ愛想がなかったかが、想像できます。
結果として、患者の足は遠のき、開業からわずか3年で医院は廃業せざるを得ませんでした。