美しき女武者!木曾義仲と共に戦いその最期を語り継いだ女武者・巴御前の生涯(上):3ページ目
連戦連勝そして上洛。「朝日の将軍」義仲、人生の絶頂期
さて、巴はかねてよりの武勇を見込まれ、義仲の一部将として軍勢を率い、信越・北陸各地を転戦。
著名なところでは横田河原の戦い(治承五1181年6月)で敵七騎を討ち取るほか、火牛戦術で有名な倶利伽羅峠の戦い(寿永二1183年5月)、続く加賀篠原の戦い(同年6月)でも大勝利。
貴族かぶれの平氏勢を散々に打ち破り、徐々に京の都へと勢力を伸ばしたのでした。
巴は数々の武勲を立てるのみならず、義仲の便女(びんじょ。女性補佐官)として執務の補佐や身辺の世話など、陰に陽に彼をサポートしました。
その甲斐あってか木曾軍は寿永二1183年7月28日、いよいよ京都から平家一門を追い出して念願の上洛(じょうらく。京都に上ること)を果たします。
同年8月16日、義仲は後白河法皇(ごしらかわ ほうおう)より「朝日の将軍」という称号を与えられ、人生の絶頂期を迎えますが、それも永くは続きませんでした。
【続く】