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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第26話

【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第26話

 

 

そしてそこで、目が覚めた。

 

 

視界には、いつもの色のない岡本屋の格子天井が広がっている。

すでに、見た夢がどんな夢であったか思い出せなくなっていた。

なんとなく、胸のあたりが切ない。

そういう感触だけが残った。

 

気晴らしに湯屋でも行こうと妹女郎の美のるを連れて木戸門の外に出ると、吉原遊郭仲之町ではすでに可愛らしい灯籠が引手茶屋の軒先を彩っていた。

毎年六月の晦(つごもり)を迎えると、平素からすだれと花色のれんを掛けている引手茶屋には揃いの灯籠が飾られる。

 

玉菊灯籠と呼ばれる初夏の吉原の風物詩だ。

一軒の茶屋につき十ほども吊るしたから、みつの暮らす京町一丁目の水道尻から全体を望めば七夕の天の川もかすむほどにまばゆく燦爛した。

みつと美のるは肩を並べて湯屋に向かってぽつぽつ歩きつつそれを眺めた。

 

「今年の玉菊は、花灯籠だね」

 

美のるが円らかな灯籠に花の絵が施されているのを見て、嬉しそうに言った。

みつも微笑んで、

 

「丁目ごとに花が少し違うのも、なお良いね」

 

「うん、可愛いね」

 

今年は花の模様を入れようと、町の垣根をこえて茶屋同士で示し合わせたのだろう。そもそも玉菊灯籠はその昔、角町中万字屋の玉菊という気だてのよい花魁が若死にしたのを弔うために始まったという。玉菊という名のもとに吉原遊廓全体が一つに協力するほど、彼女はきっと誰からも愛される素敵な花魁だったのだろうと、みつはぼんやり思う。

 

(今あたしが死んだって、きっと紫野灯籠とはならないもの。・・・・・・)

 

色の映らない瞳の中で、丸い花灯籠が風に吹かれて根無し草のようにふわふわと揺蕩った。

 

「姐さん、十三日の休みにさあ、会うの?」

 

妹の一言に、みつは虚を突かれた。

 

「え?」

 

だからあ、と美のるはみつの耳もとにくちびるを寄せて、

 

「あの人と」。・・・・・・

 

勘の良いいたずらな目が、みつを覗き込んでにっこりした。

 

「知らないよ。そんなの」

 

痛い所を突かれたみつはむきになって、手ぬぐいの先に結んだ赤い紅葉袋(ぬかぶくろ)でぺちんと美のるを叩いた。

 

 

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