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ボーイズラブは仏教僧が元祖?寺院は男の娘文化の発信源:平安時代の雑学【8】
平安時代初期、大陸から真言宗を始めとした先進的な仏教が渡来し、僧侶が朝廷による厳格な統制下に置かれたことは有名です。その生活は禁欲的で、肉類や酒、そして異性との交わりも禁止されていましたが、僧侶とて人間…やはり欲を満たしたくなる時はありました。そんな彼らが開花させたのが、ボーイズラブだったのです。
美少年は仏様の化身!口実を作って行うボーイズラブも修行の内?
日本の仏教寺院では、貴族に限らず様々な階層の子供が寺に入って勉学に励み、先生である僧侶のお世話をした見習いの少年を稚児と言いました。この稚児は派手な色の水干を着用しているイメージが強いですが、他にもお化粧や女性的な衣装をまとうなど中性的な存在でもあります。源義経の幼少期を描いた『牛若丸』のお話を思い浮かべて頂ければ、想像しやすいでしょうか。
そんな中性的で可愛らしい姿(今で言うと男の娘)を傍に置いている僧達がたまりません。何とか彼らと関係を持ちたいと強く思い始め、ある方法を思いつきます。それが、稚児灌頂(ちごかんじょう)なる儀式で、それを行った稚児は観世音菩薩と同一の神聖な存在と見做され、僧侶は灌頂した稚児と一夜を共にしました(つまりボーイズラブですね)。
こうした男色の儀式…もとい、稚児灌頂には作法や道具、手順なども決められるなど単なる色恋ではなく、あくまでも仏様と繋がる儀式とされていました。しかし、ここまで徹底していると口実を作ってまで恋をしたかったのかなあ、と考えずにもいられませんね。
2ページ目 ボーイズラブなら大丈夫…でも心配な坊さん、法会の席でカミングアウト!
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