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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第6話
文政七年 春(2)
「いやあ、韋駄天みてえに走ったぜ」
桐紋を白く抜いた花色のれんを分けて、国芳は笑った。
吉原の五丁町(ごちょうまち)を駆け抜けたせいか、汗が吹いて止まらない。三和土(たたき)の土間で框(かまち)に腰掛け足を洗い、額の汗を拭って少し熱を冷ましてから二階の奥の部屋に上がった。
相変わらず風流な青竹の連子窓からは、ようよう登り始めた朝陽が薄っすら差し込み、床に光の放射線を描き出していた。
二人差し向かって座ると、
「おみつ。・・・・・・」
国芳は袂を探り、いきなり何かを差し出した。
「はいこれ、」
「なあに」
「たんぽぽ。・・・・・・」
「あっ、かわいい」
差し出された愛らしい花を見て、みつは思わず相好を崩した。
「これ、前、あたしに似てるって言ってくれた花でしょう」
「そうだよ」
国芳は照れくさそうに目を線にして笑った。
「約束どおり、こいつを見せたくて来たんだ」
素直に会いたくて探したと言えばいいのに、国芳はこんな小さな花に理由を求めないと惚れた女に会いにも来れない。
「嬉しいよ、ありがとう」
みつは目を細め、柳のような身で男にしなだれかかった。
「でも国芳はん、気をつけてね。こっちのたんぽぽは、噛み付きますよ」
「イテッ」
国芳の逞しい腕に、カリッと小さな歯が立てられた。腕に付いた可愛らしい歯形を見て、国芳はわざとらしく嘆いた。
「しまった、こいつアたんぽぽなんて可愛いもんじゃねえや。子ねずみの見間違いだった」
「もうっ!」
みつは白桃のような頬を真っ赤にして、子供のようなこぶしでぽかぽかと国芳を叩いた。
その小さな抵抗が、
(可愛い。・・・・・・)
男はそのまま力強く抱きすくめ、たんぽぽの黄色い花が女の身体とともにふわり、宙を舞った。