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飢饉も不作も怖くない!サツマイモ普及に一役買ったのはあの将軍だった?
江戸時代は平和で戦争こそありませんでしたが、社会不安の要因として飢饉が存在しており、それは諸藩と幕府を悩ませていました。享保17年(1732年)に起きた享保の大飢饉では、西日本で多くの餓死者が出ましたが、瀬戸内海の大三島全くは餓死者が出ませんでした。
大三島が飢餓から救われたのは、他でもなくサツマイモを栽培していたためであり、一躍サツマイモの名は広まります。その4年後の天文元年(1736年)、1人の学者が“暴れん坊将軍”で有名な8代将軍徳川吉宗より、薩摩芋御用掛と言う役職を拝命しました。
その学者こそが『甘藷(かんしょ。サツマイモの別名)先生』として親しまれる、青木昆陽です。昆陽は『蕃薯考(ばんしょこう)』と言うサツマイモに関する著書を記し、江戸の小石川植物園、九十九里浜の不動堂村などで芋の試験栽培に成功しており、飢饉対策に悩む吉宗に抜擢されたのでした。こうして、関東にもサツマイモ栽培が本格的に根付く基礎が出来たのです。
こうして将軍から武家、そして町の学者に至るまでが飢饉を乗り切るために導入したサツマイモは、徐々に江戸庶民に愛好されるようになり、空前のサツマイモ食文化を築いていったのです。次は、その江戸っ子達によるサツマイモブームについて紹介していきます。
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