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そうだったの?江戸時代 武士道の精華いざ敵討ち!ちょちょっと待って、実はルールがちゃんとありました

武士道の精華いざ敵討ち!ちょちょっと待って、実はルールがちゃんとありました:2ページ目

長ーい時間がかかる壮大なミッション

この敵討ちを全うするために、10年から20年かかることは普通で、中には53年かかってようやく敵討ちできた人もいたようです。53年間、敵討ちをすることが常に頭にあるなんて、しんどいという言葉では表せないほどの壮絶な人生ですよね、きっと。それでも敵討ちできたらいい方なのかもしれません。敵討ちできないまま、命が尽きた人も少なくなかったようです。

画像:British Museum

時代は変わって敵討ちは禁止に

明治6年(1783年)に太政官布告(だいじょうかんふこく)により否定・厳禁されたことで、これまで称賛されてきたのに、翻すかのように公権を犯すものとして扱われた敵討ち。それなのにその7年後の明治13年に、福岡県士族の臼井六郎は、父母の敵として、東京城東裁判所判事の一ノ瀬直久を敵討ちしてしまったのです。普通ならば、死刑間違いなしですが、幸いに臼井六郎は、武士であったことが考慮されて死刑を免れたのです。終身刑(9年で釈放)でとどまったのは、まさに武士という身分があったからこそ。

敵討ちの機会に恵まれたとしても返り討ちにあう可能性があるのですから、実にリスクが大きいプロジェクト。まさに、敵討ちは、自分の命を懸けてやるものなのですね。

トップ画像:演劇博物館浮世絵閲覧システム

 

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