【豊臣兄弟!】松下洸平が魅せた“家康の野望”と本音!数正との感動再会、見事な伏線回収を考察:4ページ目
戻ってきた石川数正との絆
「この家康、本日ただ今より身命を賭して殿下にお仕えいたす所存」
月代を剃って登場した家康。腹の底に本心を封じ込めているようにも、心からそう思っているようにも思えました。
第5回『嘘から出た実(まこと)』で、足軽だった藤吉郎が「どうやったら偉くなれるか」と無邪気に家康に話しかけたときのこと。
家康は「たやすいことよ。己を信じて突き進むのじゃ」と言い、胸を叩き「大事なのはここじゃ。熱意が人を動かし勝敗を決する」と告げていました。(その後、数正に「よくもまあ……しらじらしくて思わず吹き出しそうになりましたわ」と突っ込まれていましたが)
その適当な言葉を額面通りに受け取った秀吉が天下人まで上り詰め、覚えていない家康が、今回は豊臣兄弟の熱意に動かされるという展開。
まさかの第5回の家康のセリフが、第41回に反映されるとは。長い長い伏線でしたね。
そして、出奔した石川数正とも再会を果たします。
数正の土下座に「やめろ!ついこの前わしが秀吉にしたこと。思い出したくもない」と爪を噛もうとして気が付いて止めました。(数正の忠告を守ろうとしていました)
「よう耐えられましたなあ」という数正に嫌味を言いつつも、家康は一緒に酒を飲もうとの約束を果たしに来たのでした。
数正に、自分は長生きすることに決めたと告げ、「あやつらよりも長生きして最後に笑ってみせる」と家康。
「それでこそ我が殿!」という数正。
「お前はそれまで秀吉に支えてわしに通じよ」と命令されつつ、嬉しそうでした。
数正の酒を「酒は体に悪い」と取り上げ「お前もわしとともに長生きせよ」という言葉は、数正の出奔は「家康のため」なことを察知し、それを許していることを数正に告げたのでしょうか。
うれしそうに笑う数正に「気味が悪い。笑うな」という家康の悪態に「そんなぁ」と言いつつ、数正の瞳に浮かぶ涙が夕陽にキラリと光り、家康の口元にも笑みが浮かぶという映像が美しく、いい場面だったと思います。
史実では「なぜ石川数正が家康を裏切ったのか?」については、このサイトでほかの記事がありますので省略しますが、ドラマでは「数正は秀吉側に入り家康を守ろうとした説」を描いたようです。
そして、家康の「秀吉への絶対服従」は儀礼上の表向きで「プライドを捨て家を残し、有利な条件を引き出した現実的な判断をした」説を匂わせた展開に。
天正13年(1585)に城代を務めた岡崎城を出奔し秀吉のもとに走った数正は、その後豊臣政権下で和泉国(現在の大阪府南部)に領地を与えられました。
そして、秀吉の九州攻めや小田原攻めに従軍、天正18年(1590)には信濃国(現在の長野県)松本城主となり8万石を領すも、文禄元年(1592)61歳で亡くなりました。
『言経卿記』には、12月に京都の七条河原で葬儀が執り行われたと記録されているそうです。
最後に
「あとは日の本を一つにするだけ。境目のないこの空のようにのう。」と秀長に告げる秀吉。
信長の「空には境目がない、わしはそういう国を作りたい」という夢まであと一歩となりました。
「今が一番ええ。そんな気がするわ」の秀長の言葉が、悪いほうにあたってしまっていくこの先が怖い。
予告での険しい表情の秀次(山田涼介)のクローズアップ、ともの「あなた、小一郎のこと嫌いなの?」の声、『豊臣家に生じる亀裂』テロップ、不吉な展開しかないのですが……。
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参考:
・『人物叢書 徳川家康』藤井讓治
・『徳川家康の決断』本多隆成
・『図説 徳川家康と家臣団 平和の礎を築いた稀代の〝天下人〟』小川 雄・柴 裕之
・国立公文書館所蔵史料特別展示「将軍のアーカイブズ」 医林集要



