【豊臣兄弟!41回】秀長との対面・陣羽織・数正との再会…史実での真相は?家康の野望を紐解く:3ページ目
石川数正との再会!出奔した忠臣は何を伝えたかったのか
今回放送をより深く味わう上で、家康と数正の再会は外せないでしょう。
家康を幼少期からずっと支え続けた数正が天正13年(1585年)に徳川家を出奔し、豊臣政権に臣従する重大な決断は、以前に描かれたとおりです。
この出来事は史実であり、数正の出奔は徳川家を大いに揺るがす痛手となりました。家康は筒抜けとなった軍事機密を守るため、軍制の見直しなどを迫られたとされます。
しかし数正が出奔した真意については諸説あり、いまだに確定していません。
『豊臣兄弟!』では、数正が勝ち目のない豊臣家との決戦を避けるため、家康を守るために出奔したという解釈で描かれていました。
数正出奔の背景には、かつて三方ヶ原の戦いで惨敗を喫した家康が、数正に対して「今後同じ過ちを繰り返さないよう諫めてほしい」と託した約束があります。数正は家康を諫めるため、自ら悪者となる出奔の道を選んだのでした。
もちろんこれをそのまま史実とは断定できず、あくまで数ある解釈の一つにすぎません。それでも永年仕え続けた主君のもとを去らねばならなかった忠臣の苦悩を想像すると、胸に迫るものがあるでしょう。
ずっと主君の近くにいることだけが忠義なのか、主君が間違った道へ進んでしまわないよう、あえて距離をおくという忠義もあるのかもしれません。
それを承知だからこそ、家康は再会した数正を受け入れ、酒を酌み交わす約束を果たしたのでした。
石川数正に関して、こちらの記事も合わせてご覧ください。
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