『豊臣兄弟!』秀次(山田涼介)事件が招いた残酷な結末…羽田正親(平埜生成)の非業の死、その真相に迫る:3ページ目
なぜ羽田正親は秀次事件に巻き込まれたのか
羽田正親は、豊臣秀次にとってはいわば新参の家臣でした。
その正親が秀次事件に連座したとして、最期を迎えることになった理由は、謎というほかありません。
ただ、正親が「刎田六蔵」という名で登場する『武功夜話』には、その背景を考えるうえで興味深い記述があります。
それによると、秀次が高野山へ追放された際、正親は木下吉隆とともに、秀次護送の監視役を命じられます。
つまり、この時点では正親が秀次の謀反に加担したとは見なされていなかったことになります。
ところが、その後、秀次を高野山から逃亡させようと密かに画策しているとの疑いが発覚。その責めを負い、最期は非業の死を遂げたとされています。
もちろん、『武功夜話』の記述だけをもって、その経緯を確定することはできません。
しかし、秀長のもとで重臣として活躍し、秀保の死後には秀次に仕えながら、わずか数か月で秀次事件に巻き込まれて命を落とした。
羽田正親の波乱に満ちた生涯を振り返ると、秀長没後に豊臣兄弟の家臣たちの運命が大きく変わっていく、そのような時代を象徴する人物の一人だったのではないかと思えてくるのです。
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※参考文献
黒田基樹著 『羽柴秀長とその家臣たち 秀吉兄弟の天下一統を支えた18人』 角川選書


