『豊臣兄弟!』秀次(山田涼介)事件が招いた残酷な結末…羽田正親(平埜生成)の非業の死、その真相に迫る:2ページ目
秀長の死後、秀保を経て秀次の家臣になる
秀長が没したのちは、正親は秀長の後を継いだ大和中納言・豊臣秀保に、そのまま仕えます。
1591年(天正19年)から1595年(文禄4年)4月に秀保が死去するまでの4年間、正親は秀長時代と同様に重臣として主君を補佐しました。
秀保の朝鮮出兵にも同行し、藤堂高虎や桑山一晴らが渡海する一方、正親は名護屋に在陣した秀保に従っています。
しかし、秀保が17歳の若さで急死すると、正親の運命は暗転します。
それは、秀保の実の兄にあたる関白・豊臣秀次(山田涼介)に仕えたことで起きました。
ここで気になるのは、大和中納言家で秀保の死後に、秀次に仕えたことが明らかな人物は、正親ただ一人であったことです。
1595年(文禄4年)3月、秀保は秀吉の命によって大和の算用を求められ、このとき正親は秀次から「大和算用帳」を持参するよう命じられています。
この出来事が、正親と秀次との間に何らかの関係が生まれるきっかけとなった可能性も考えられるのです。
そして、そのわずか4か月後の1595年(文禄4年)7月、秀吉に謀反を疑われた秀次が、高野山で自害するという事件が起こります。
【豊臣兄弟!】豊臣秀次(山田涼介)粛清の真相は?切腹へ追い込まれた聚楽第改修に潜む“秀吉への反逆”
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第29回(7月26日放送)から始まった「天下一統編」の新たな登場人物として、豊臣秀吉(池松壮亮)の甥・豊臣秀次を山田涼介さんが演じることが発表されました。秀次は豊臣家を…
その翌月、羽田正親は越前国北庄の堀秀治に預けられ、切腹して果てました。
繰り返しになりますが、秀次に仕えてからわずか4か月ほどで、正親は秀次事件に連座したと見なされたのです。


