『豊臣兄弟!』北条氏政が『逃げ若』北条時行の子孫説は本当?2作品をつなぐ「北条」の歴史的接点:2ページ目
戦国関東に100年君臨?小田原北条氏の系譜
天文8(1539)年ごろ、北条氏政は北条氏康の長男として生まれました。
生まれた北条氏は、相模国小田原城を本拠とした後北条氏です。その系譜は、すでに氏政で4代目となっていました。
初代・伊勢盛時は「北条早雲」の名で知られる武将です。出家後、盛時は早雲庵宗瑞と号ししており、北条とは名乗っていません。
盛時の実家は室町幕府に仕えた備中伊勢氏と考えられています。同氏は幕府政所で代々執事を継承してきた家柄でした。
北条と名乗ったのは、盛時の子・氏綱の代です。
大永3(1523)年、氏綱は伊勢から北条へ改姓。そのため「北条早雲」という呼び方自体、息子以降の家名を初代にさかのぼって当てたものなのです。
ではなぜ、別系統の一族が「北条」を名乗ったのでしょうか。
これは第一に、相模支配の正当性を示すためだったと考えられています。
伊豆と相模へ進出した伊勢氏は、関東から見れば外来の勢力、いわばよそ者です。対して鎌倉北条氏は、かつて相模と鎌倉を支配した名門でした。
そこで氏綱は北条の名跡を継承。北条氏綱となって、鎌倉北条氏が使っていた三つ鱗の紋を掲げました。
氏綱は正室に養珠院(鎌倉北条氏の末裔・横江氏の出身とも言われる。諸説あり)との間に氏康を設けています。
つまり血筋で言えば、小田原北条氏は鎌倉北条氏と確かに繋がっていたことになります。
