「妾5人と同居」勝海舟の妻・たみの壮絶生涯|瀧内公美が『逆賊の幕臣』で演じる賢妻が抱いた“深い恨み”:2ページ目
勝海舟の妾たち
勝海舟は妾たちと、それぞれに子供を作りました。一覧にしてみましょう。
梶玖磨(かじ くま。別名お久)
長崎伝習所時代(34歳ごろ)に当時14歳だった彼女を妾としました。現代なら間違いなく犯罪です。
彼女との間には女児(すぐに亡くなる)と三男の梶梅太郎(うめたろう。元治元・1864年生まれ)が生まれるものの、彼女自身は25歳という若さで世を去ってしまいました。
増田糸(ますだ いと)
勝家の使用人で、安政7年(1860年)の咸臨丸渡米前に手をつけたそうです。彼女との間には三女の目賀田逸子(めがた いつこ。後に目賀田種太郎夫人)と四女の勝八重(やえ)が生まれました。
小西兼(こにし かね)
彼女は赤坂氷川邸で働いていたところに手をつけられ、四男の岡田義徴(よしゆき)を産んでいます。
森田米子(もりた よねこ)
彼女も赤坂氷川邸で働いていたところを妾にされましたが、二人の間に子供はいなかったようです。
清水とよ(しみず とよ)
近所に住んでいた旧幕臣の清水家から迎え、五女の勝妙子(たえこ)を生みました。後に勝海舟は彼女を離縁して香川家へ嫁がせ、香川とよと名乗っています。
「おたみさま」と慕われた勝家のゴッドマザー
まったく勝海舟の女好きには呆れますが、驚くべきは彼女たちが全員同居していたことでした。
妾たちは毎朝必ず民子に挨拶を欠かさず、民子もまた彼女たちやその子供たちに対して公平に接していたそうです。感謝やいたわりの気持ちを交わしたり、愛情をかけたりしていたことでしょう。
勝家の大所帯を取り仕切り、皆から「おたみさま」と慕われていた民子は、まさにゴッドマザーのような存在でした。
そんな民子の人徳に対して勝海舟も感謝しており、日ごろから「あれだけ多くの者がいて、家中に何の問題も起きないのは民子のお陰だ」「民子は俺には過ぎた妻だ」などと語っていたそうです。
どんな英雄でも庶民でも、家中にトラブルがあると、それにとらわれ実力を発揮できません。そういう意味において、勝海舟が遺した偉業の数々は、民子が支えてこその賜物と言えるでしょう。

