『豊臣兄弟!』逃げずに26歳で散った織田信忠(小関裕太)…ドラマでは描かれなかった “幻の天下人” の最期:3ページ目
謀反人の子で・いとこの信澄にみせた気遣い
第25回『変事の予兆』で、安土城が完成し信長は家臣たちを集めました。
安土城築城にて総普請奉行を任された丹羽長秀(池田鉄洋)の功績を讃えるシーンで、突然、信忠が信長に向かい「父上、信澄も褒めてやってください」といいました。
信孝が、微妙に不満そうな冷たい目付きだったのと、お市(宮﨑あおい)が厳しい付きだったのが印象的でした。
二人とも、信長に謀反を起こした織田信勝の息子の信澄をよくは思っていなかった感じがしました。
なんとなくアウェイ感の漂う信澄を気遣う、信忠。
苛烈な命令も厭わない当主っぽく振る舞っていたものの、本来はこういう気遣いと思いやりを持つ人物だった……と描いていたような気がします。
逃げずに二条新御所で明智軍と戦う信忠
天正10年6月2日、本能寺の変が起こったとき、織田信忠は京都の妙覚寺に滞在していました。
信忠は、明智光秀軍が本能寺に滞在している父を襲撃したことを聞き、すぐさま駆けつけようとします。
信忠の最期は、『信長後記』に以下のように描かれています。
三位中将信忠 御諚には軍之巷と可成候間 親王様 若宮様 禁中へ御成可然之由被仰心ならすも被成御暇請イトマゴイ 内裏へ入奉り爰に而僉議区也引取て被退候へと申上る人も有 三位中将信忠 御諚にはか様之謀叛によものかし候はし雑兵之手にかゝり候ては後難無念也爰に而腹を可切と被仰御神妙之御働哀也……(中略)……
宗徒之家子郎等甍並討死算を乱したる有様 御覧し不便に被思食御殿も間近く焼来此時御腹めされ 鎌田新介無冥加御頸を打申 御諚之如くに御死骸を隠置無常之煙となし申哀成風情目も当られす
現代語にして、要約すると、
三位中将信忠は本能寺の変の知らせを聞き、戦うため妙覚寺を出ようとするも、村井春長軒父子に「本能寺はすでに落ちた。敵はこちらにもくるので二条の新御所に移るよう」と進言されて移動しました。
御所では、親王様、若宮様を禁中へ移動させて別れを告げます。
そして、「このような謀反を起こす者どもに逃げたと思われるのは、いかにも不本意。雑兵の手にかかってしまっては、後々まで無念。ここで腹を切る」決断したのでした。
「自分が腹を切った後は、後ろの縁側の板を外し自分の遺骸を隠してほしい」と言い、介錯の役目を鎌田新介に命じます。
信忠は、家臣や郎党たちが討死した様子を見て気の毒に思いつつ、御殿の火も間近まで燃え迫ってきたので切腹。鎌田新介は、遺言どおりに介錯して遺体を隠しました。
「最期のありさまは、まことに悲しく、目を向けることさえできないほど痛ましいものでした。」と記してあります。

