『豊臣兄弟!』覚醒した“ラスボス”お市、自ら選んだ道で秀吉に挑む!清洲会議の深層と「豊臣VS織田」の行方:3ページ目
ほかの史料で描かれた清洲会議の流れ
清洲会議の流れは、例えば『多聞日記』には、
七月六日
天下ノ様、柴田・羽柴・丹羽五郎左衛門・池田紀井守・ホリ久太郎、以上五人シテ分取ノ様ニ其沙汰アリ、信長ノ子供ハ何モ詮ニ不立云々、浅猿浅猿
とあります。現代語に訳すと、
〜天下の情勢は、柴田勝家、羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興、堀秀政の5人の実力者たちが、まるで天下を切り分けて自分たちのものにするかのように合議して決めてしまった。
信長様の子供たちは、誰一人として全くお呼びでない状態にされてしまったとのことだ。
まったく呆れたことであり、情けない限りである。〜
という感じでしょうか。「浅猿浅猿」とは、秀吉の悪口かと思いましたが、浅ましい・嘆かわしいなどの意味です。
また、『川角太閤記』には、勝家が織田信孝を推し、秀吉が三法師をたてるのが筋と主張、ほかのメンバーがだまりこむ場面が。
此座敷に秀吉於有之は惣談しにくかるべき也と思召候つもの虫気少し指出申候と被申出候而に座敷と被立候てそれよりたいすの間へ御座候而茶坊主共に枕を御取よせ被成御やすみ候て湯なと御取よせ香薫散なとまいりゆる
現代語に訳してみると、
〜こうした様子を御覧になった秀吉は、心の中で次のように考えた。「この座敷に私がいたままでは、皆も本音で話し合いしにくいだろう」。
そこで秀吉は、「持病の腹痛(虫気)が少し差し込んできました」と言い訳をして、会議の席を立った。
それから台子の間へと移動し、茶坊主たちに枕を持ってこさせて横になり、「お湯を持ってまいれ」「香薫散(気付けの漢方薬)を持ってまいれ」などと言って、体を休めました。〜
「豊臣兄弟!」では、池田恒興(堀井新太)が「秀吉が腹を壊して清洲会議に参加できない」と言い、柴田勝家が「まったくこんな時に」と怒り、丹羽長秀(池田鉄洋)が「こんな問いこそ四人で助け合わねば」という流れにいかされていましたね。
