【豊臣兄弟!】「私を娶れ」勝家との祝言決意が意味するもの…広がるお市ロス、悲劇へ向かう誇り高き生涯:4ページ目
秀吉の仲介で勝家と結婚
その後しばらくお市は大きな動きを見せず、天正10年(1582年)に本能寺の変が起こると、状況が目まぐるしく変化しました。
信長亡き後の織田政権を決める清須会議を主導した秀吉が、勝家の不満をおさえるためにお市との縁談を仲介したと考えられています。
それまで側室や妾のみで正室がいなかったと考えられる勝家はこれを受け入れ、主筋であるお市との結婚で織田政権内における立場の強化を図りました。
婚儀は天正10年(1582年)8月20日に岐阜城で行われ、また京都妙心寺(京都市右京区)で信長の百箇日法要を営んだそうです。
ともに信長を想った同士、きっと心を合わせてねんごろに供養したことでしょう。
北ノ庄城で非業の最期
しかしこの夫婦生活も永くは続かず、天正11年(1583年)4月に勝家は賤ヶ岳の合戦で秀吉に敗北し、逃げ帰った越前北ノ庄城(福井県福井市)を包囲されてしまいました。
最早これまでと覚悟を決めた勝家は、お市に娘たちと落ち延びるよう勧めます。しかしお市は一緒に添い遂げると言って聞きません。
やむなく娘三人だけを城外へ追い出し、酒宴を開いて今生の別れを惜しみました。そして燃え盛る城を枕に自害して果てたということです。享年37歳。
さらぬだに 打寝る(うちぬる)程も 夏の夜の
別をさそふ ほとゝぎすかな
【歌意】ただでさえ夏の夜は短いのに、早く別れを告げろと啼くホトトギスの声は、何と無情なことでしょうか。
夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を
雲居にあげよ 山ほとゝぎす
【歌意】短い夏の夜に見る夢のように儚い人生であった。ホトトギスよ、どうか我らの名が後世まで届くよう、高らかに啼き伝えてほしい。
お市と勝家が詠み合った辞世に、それぞれの人柄が感じられますね。
終わりに
今回は悲劇の戦国ヒロイン・お市について、彼女が歩んだ激動の生涯をおさらいしてきました。
果たして本作では、どのような最期を遂げるのでしょうか。早くもお市ロスが広がっているようですね。
勝家が永年貫いてきた純愛が結実し、そして散華してしまう瞬間を、心して見届けましょう!
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※参考文献:
- 黒田基樹『お市の方の生涯「天下一の美人」と娘たちの知られざる政治権力の実像』朝日新書、2023年1月
- 桑田忠親『戦国時代の女性』秋田書店、1979年6月
- 西ヶ谷恭弘『考証織田信長事典』東京堂出版、2000年9月
- 宮本義己『誰も知らなかった江』毎日コミュニケーションズ、2010年12月




