『豊臣兄弟!』なぜお市は秀吉の勧めで柴田勝家と再婚した?悲劇に繋がる「真相」を史料と伏線から探る:2ページ目
小悪魔お市に手玉に取られる鬼柴田
そんな勝家とお市の、将来への伏線を印象付けたのは、長政との婚礼後の場面でした。
婚礼が終わった勝家がお市に挨拶しに来たときのこと。
お市が「『嘘から出た真じゃ』『そなたのせいで私は不幸になった』と伝えよ。」と小一郎への伝言を頼みます。
何のことか、さっぱり分かっていないのに「小一郎がお市殿に何かした!」と思い込み「あの野郎!」と気色ばむ純な勝家。
激しく憤る勝家に「勝家………戯言じゃ」「いっそお前と一緒になる方がマシだった」と微笑むお市。
あまりの直球な言葉に心臓を射抜かれ、ドギマギして慌てふためく勝家と、そんな彼を手玉に取るなかなか小悪魔なお市。
この先に訪れる二人の再婚劇の理由や二人の関係性や夫婦の力関係を匂わせる、印象的なシーンでした。
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親子ほども歳の離れた勝家と結婚を決めた理由
浅井長政が自刃した後、本能寺の変・清洲会議を経て、天正10年(1582)ごろ柴田勝家と再婚したお市。
お市は35〜37歳頃、勝家の生年ははっきりしていないのですが、お市との年齢差は25歳ほどだったので、勝家は60数歳くらいだったのでしょう。
けれども、二人の結婚生活はわずか7〜9ヶ月ほどの短い期間でした。賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、天正11年(1583)4月24日に北ノ庄城にて、勝家はお市とともに自害しました。
「お市はなぜ、親子ほども年齢の離れた勝家との再婚を承諾したのか」に関しては諸説あります。
よく知られる通説では、
▪️清洲会議で、織田信長の三男・織田信孝が、秀吉の思うがままになりそうな流れを阻止するために、叔母のお市に「勝家と一緒になって欲しい」と頼んだ
▪️お市は秀吉が我が身を狙っていると危機感を覚えて勝家と一緒になった
などのストーリーでしょう。
けれども、この話は後世軍記物などで触れていることはあっても、同時代の一次史料でお市と勝家の再婚までの経緯や二人の感情などを示すものはほぼないそうです。
『南行雑録』の中に収められている「天正10年(1582)10月6日付・堀秀政宛柴田勝家書状」には、秀吉と勝家が申し合わせたことや、お市との縁組に関する記述が見られるため、近年では、「勝家と秀吉の間で婚姻について何らかの合意がなされていた可能性」が主流になってきたといわれています。


