『豊臣兄弟!』茶々=悪女はほぼ創作?秀吉が溺愛、豊臣家滅亡を背負わされた茶々(井上和)の壮絶すぎる生涯:3ページ目
ずっと父・長政が作ってくれた「浅井」の紋をお守りに
第18回『羽柴兄弟!』で登場した、茶々が胸元に忍ばせていた父が作ってくれたお守り。
死を覚悟した長政が、3つ合わせると浅井家の家紋「三つ盛亀甲に花菱」になる木彫りのパーツを作り、それを袋に入れたお守りを三姉妹に託すというエピソードがありました。
茶々がそのお守りを胸元に忍ばせていたのです。それをギュッと握りしめたのは、浅井の家と父に対する思いがあったのでしょう。
このお守り、きっとずっと淀君になって亡くなるまで持ち続けるのではないでしょうか。(ドラマでは主人公の豊臣秀長が亡くなってから20年以上先のことなので描かれないとは思いますが)
「三つ盛亀甲に花菱」は浅井家ではなく浅井長政自身の紋だとされています。
15歳までの間に二人の父と一人の母の死、二度の落城
信長が「本能寺の変」で自死後。
史実では、清洲会議で柴田勝家と秀吉が申し合わせて、会議で承諾を得た後にお市は娘たちを連れて勝家と再婚。
その後、秀吉と勝家は対立し、翌天正11(1583)年に賤ヶ岳の戦いに突入し勝家が敗れます。
お市の方は夫とともに自害し、残された三姉妹は勝者である秀吉の庇護下に置かれました。このとき、茶々は14〜15歳頃。(織田信雄が三姉妹を発見して面倒をみたなど、諸説あります)
『渓心院文』によるとこの時期に茶々は、秀吉に側室になるよう求められたとか。茶々は、その条件として「妹たちの縁組を整えるよう」求め、それぞれを嫁がせました。
茶々が秀吉の側室になったのは天正14年(1586)〜天正17年(1589)頃で、17〜20歳くらいで嫁いだとされています。
秀吉との年齢差が32歳くらいだとすると、50代の男性の側室になったことに……。
茶々は、なぜ自分の実父・義理の父・実の母を死に追いやった秀吉の側室になったのでしょうか?
