『豊臣兄弟!』茶々=悪女はほぼ創作?秀吉が溺愛、豊臣家滅亡を背負わされた茶々(井上和)の壮絶すぎる生涯:2ページ目
「茶々は長政の子ではない」説も
茶々は誕生からして「謎」があります。それは実は、浅井長政の実子ではない説です。
※関連:
豊臣秀吉の側室・淀殿(茶々)は浅井長政の実子ではなかった!?お市の方、連れ子説を検証する
日本で最大級の歴史百科事典『国史大辞典』では、茶々は長政とお市の子で、同母妹に初(常高院)と江(崇源院)がいる浅井三姉妹の長女と記してあり、生年は永禄12 年(1569)頃とあります。(永禄10年説も)
そのため、「長政の実子ではない説」は後世の軍記物や二次的解釈に基づく創作とされています。
「実子ではない」理由としては……
・江戸時代に成立した軍記『浅井三代記』に、茶々の誕生に関する記述がないのでお市の連れ子の可能性
・次女に「初(はつ)」と名付けているので、茶々が長女ではない可能性
・浅井家の菩提寺・徳勝寺に茶々の位牌がない
などですが、根拠は薄いそう。
いずれにしても「茶々は長政の実子に非ず」と、直接記した同時代史料や信頼性の高い一次史料は存在しないそうです。
「豊臣兄弟!」のドラマ第12回『小谷城の再会』では、お市が赤ん坊の茶々を秀吉(池松壮亮)に渡し、秀吉が「かわいいのぉ」と目を細めてあやす衝撃的な場面がありました。
「これが後の世に豊臣家を創った者と、終わらせた者の出会いでございました」
という戦慄のナレーションがぴったり過ぎて、SNSでも話題になっていましたね。
このとき、赤ん坊の茶々が0歳だとしたら、天文6年(1537)生まれの秀吉は32歳。
この赤ちゃんを側室にするとは……そういう意味でも戦慄する場面でした。
「茶々はそんな弱虫ではありませぬ」
天正元年(1573)、織田信長軍勢による小谷城総攻撃の末、浅井長政は籠城の末、自害。
史実では、茶々と妹たちは共に母・お市に連れられて織田信長の弟・織田信包のもとに保護されたといわれています。(信長の伯父・織田信次に預けられ、信次の死後、信長の元に預けられたとも)
ドラマでは、三姉妹とお市は伯父であり父の仇でもある織田信長(小栗旬)のもとに身を寄せました。茶々はこの頃4〜5歳でした。
初めて信長と会った場面。「わしが怖くないのか」と言われ「怖くありませぬ。茶々はそんな弱虫ではありませぬ」とギュッと握り拳を胸に当てて、キッと魔王を睨みつけた幼い茶々が印象的でした。
幼い頃から聡明だったと伝わる茶々。
詳しい事情はすべて理解できなくても、5歳なら両親・姉妹・兄と仲良く暮らしていたのに「この魔王のせいで奪われた」ことを直感的に察していたのかもしれません。
浅井家の長女として、母や妹たちを守る……そんな覚悟を持っているようにも感じました。
このドラマは、「未来へのロングパスとなる伏線を張る」のが特徴。
「織田の家」を守りたかった母・お市とは違い、茶々は父・長政の代で滅亡した「浅井の家」に対する思いを、「豊臣の家」の人間になっても生涯持ち続けるような気がしました。
3ページ目 ずっと父・長政が作ってくれた「浅井」の紋をお守りに


