『豊臣兄弟!』安土城炎上は信長次男・織田信雄(山脇辰哉)の仕業?本能寺の変で見せた意外な行動:3ページ目
安土炎上は冤罪?
その後しばらく、信雄の動きはよく分かっていません。
一説には亡き父が築き上げた安土城(滋賀県近江八幡市)へ入り、6月15日にその天守閣と本丸を焼き払ってしまったと言われています。
※『太閤記』では明智の残党が6月14日に焼き払ったと言いますが、当時の史料から6月15日が正しく、明智の残党はすでに安土を去っていたので冤罪でしょう。
信雄が安土城を焼いたというのは、ルイス・フロイス(フェルナンデス直行)が記した『日本史(フロイス日本史)』によるものでした。
なぜ信雄は安土城を焼いたのでしょうか。フロイスによると、ざっくり「神デウスが安土城の存続をお許しにならず、バカな信雄に焼き払わせた(要約)」としています。
※絢爛豪華な安土城の天守閣を、さながらバベルの塔(人類の傲慢を象徴し、神の怒りで破壊された)のように思っていたのかもしれません。
恐らく周囲も「まぁ、あの信雄なら、そのくらい『やらかし』そうだよね」という認識だったのでしょう。
しかしこの記述を鵜呑みにはできません。いくつか理由があります。
一、フロイスは現場を見た訳ではありません(当時九州にいました)。
一、この記述は数ヶ月後に人々の伝聞をまとめたものでした。
一、記述と実態が異なっていました(焼失範囲の食い違い)。
そもそも信雄は伊賀の一揆鎮圧で手一杯、わざわざ安土まで行く余裕はないはずです。
では安土城を焼いたのは誰なのか?恐らく一時無政府状態に陥った安土で、暴徒が略奪のために乱入し、焼き払ったものと考えられています。
それを誰かが物語として面白おかしく「どうせ、あのボンクラ信雄がやらかしたんでしょ?」などと言いふらし、定説のようになってしまったのでした。
やっていないことまでおっかぶせられるのは、流石に気の毒でなりませんね。
