朝ドラ『風、薫る』従兄の西郷隆盛と戦う運命に…実在した人物、大山巌(高嶋政宏)の激動の生涯:2ページ目
戊辰戦争で戦場を知った大山巌
慶応4(1868)年1月、鳥羽伏見の戦いを契機として、明治新政府と旧幕府との間で戊辰戦争が勃発。巌は薩摩の二番隊砲兵隊長として出征しています。
大河ドラマ「八重の桜」でも描かれましたが、巌は関東から東北地方まで転戦。会津若松城攻撃にも加わりました。
その際、新島八重(当時は川崎八重)が巌を狙撃。撃たれた傷は命を落としかねないほどの重傷でした。
戦後、実戦経験を踏んだ巌は歩みを止めません。
明治2(1869)年、自ら設計した長四斤山砲(通称・弥助砲)を考案。これは我が国初となる国産の洋式大砲でした。
翌明治3(1870)年、巌は軍事視察のためにフランスへ渡ります。
このとき、ヨーロッパでは普仏戦争が起こっており、巌はその戦況を実地に見ていました。
明治4(1871)年には日本に帰国。兵部権大丞、陸軍大佐と進み、さらに陸軍少将へ進みます。
その後、再びヨーロッパへ渡り、主にフランスで軍政や砲術を研究しました。
明治7(1874)年に帰国した巌は、陸軍少将として陸軍建設に関わります。
当時の日本において、西洋式軍制を理解した人材は限られていました。巌の経験は、新しい陸軍を形づくるうえで大きな意味を持ちました。
西南戦争勃発!別れと出会いの先に、巌が見たものは?
やがて巌の人生に大きな試練が訪れます。
明治10(1877)年、西南戦争が起こりました。政府に不満を抱いた士族たちが、西郷隆盛を中心に挙兵した戦いです。
このとき巌は、政府軍の別働第一旅団司令長官として出征。 西郷やそれに従う旧藩士たちは、巌にとって近しい人々でした。
この戦争は、大山にとって単なる軍事作戦ではありませんでした。
新政府の軍人としての責任と、薩摩に生まれた者としての情。その二つの間で、大山は厳しい立場に立たされたのです。
結局、西南戦争は西郷の自決によって終結。巌は近代軍人として苦い経験をすることとなったのです。
明治13(1880)年、巌は陸軍卿を拝命。やがて参謀本部次長、陸軍大臣などを歴任し、明治陸軍の中枢に立つ人物となります。
明治18(1885)年に内閣制度が始まると、巌は第1次伊藤博文内閣以降、複数の内閣で陸軍大臣を務めました。
また、朝ドラ「風、薫る」との関係で重要なのが、大山捨松との結婚です。
捨松は会津藩家老の家に生まれ、日本初期の女子留学生の一人としてアメリカに学びました。帰国後、当時の陸軍卿だった巌と結婚し、鹿鳴館の華とも呼ばれる存在になります。
薩摩出身の大山と、会津出身の捨松。戊辰戦争で敵味方となった土地の出身者同士が夫婦となったことは、明治という時代の不思議なめぐり合わせを感じさせます。

