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朝ドラ『風、薫る』遊郭通いしながら廃娼運動の矛盾…シマケン(佐野晶哉)のモデルとされる木下尚江の生涯

朝ドラ『風、薫る』遊郭通いしながら廃娼運動の矛盾…シマケン(佐野晶哉)のモデルとされる木下尚江の生涯:2ページ目

社会活動家で記者でもあった木村尚江

卒業後、木下尚江は、地元のローカル紙『信陽日報』の記者・社会運動家・弁護士などとして活動。「新鋭木下尚江入りて紙面更新、一段の生気を放てる」(松本市史)と評されるも、抵抗勢力にあい「信陽日報」は廃刊となってしまいました。

その頃、尚江はキリスト教に出合い、廃娼運動、禁酒運動などに専念し積極的に活動。『信府日報』の主筆も務めるようになります。

明治30年(1897)選挙疑獄事件の容疑で警察に捕まり、重禁錮8か月・罰金10円・監視6ヶ月の判決を受け東京に護送され鍛冶橋監獄に収容後、無罪判決となって出所。

2年後、毎日新聞に入り廃娼運動・足尾銅山鉱毒問題・普通選挙期成運動などに取り組みました。

※廃娼運動について:

朝ドラ「風、薫る」女郎を地獄から救いたい…夕凪を救うため、りん(見上愛)が出会う明治の『廃娼運動』とは?

NHK朝の連続テレビ小説「風、薫る」。第11週のテーマは『凪(なぎ)にそよぐ』です。「凪」とは風がぴたりと止んで、海や湖の水面が静まった自然現象。「そよぐ」とは、風が吹いて草木などが静かに…

明治34年(1901)、幸徳秋水らの社会民主党の結成に参加。その後、毎日新聞で、キリスト教社会主義の立場から非戦論を盛り込んだ小説『火の柱』を連載し、ペンを武器に戦いました。

けれども、明治39年(1906)、母親の死をきっかけに社会主義から離れ人間主義の著作活動を行うように。昭和12年(1937)胃がんにより東京の自宅で死去しました。晩年はひたすら坐し経を写し思索する日々を送っていたそうです。

大関和と木下尚江が出会ったのは、明治24年(1891)頃

和は帝大第一病院を辞めて、越後高田の女学校寄宿舎の舎監として赴任した頃でした。

ドラマと同様、和は帝大第一病院で心中未遂した遊女に出会い「遊郭を出た女性が安心して暮らせる場所と自立できる職業を」という思いをずっと胸に秘めていました。

3ページ目 廃娼演説会で大関和(りんのモデル)と出会う

 

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