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『豊臣兄弟!』さらば半兵衛…なんと江戸時代 中期まで続いた竹中半兵衛(菅田将暉)の子孫たちを一挙紹介

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半兵衛の仍孫(8世代目)・竹中元儔(もとかず)

享保6年(1721年)生~安永9年(1780年)12月20日没/60歳

通称は厚之進(あつのしん)、官途名は主膳。生母は不詳。はじめ竹中治看(はるみつ)、次いで竹中元滌(もときよ)そして元儔と改名しました。

元文4年(1739年)11月7日に第8代将軍・徳川吉宗へ出仕し、宝暦3年(1753年)10月4日に家督を承継します。

現役中の詳しい事績は記されておらず、死後の法名は常心(じょうしん)と号されました。

半兵衛の雲孫(9世代目)・竹中元恭(もとゆき)

生没年不詳

通称は縫殿之助(ぬいのすけ)、官途名は左京。実父は鳥居忠意(ただおき)、生母は麻衛(まえ)氏です。

家督を継ぐため元儔に婿入りし、明和4年(1767年)に第10代将軍・徳川家治へ出仕しました。しかし病のため後継者の地位を辞退します。

半兵衛の耳孫(10世代目)・竹中重寛

明和5年(1768年)生~没年不詳

通称は厚之進、官途名は主殿。竹中元恭と竹中元儔養女の間に誕生しました。元服してはじめは竹中元智(ちかとも)と名乗り、後に重寛と改名。天明元年(1781年)3月5日に祖父の元儔から家督を譲られます。

天明3年(1783年)に徳川家治へ出仕し、池田政弼女(まさすけ娘)を妻に娶りました。

半兵衛の末孫(11世代目)・竹中吉太郎

生没年不詳

諱(いみな。実名)は不詳、生母についてもわかっていません。姉妹4人に囲まれていたようで、女性社会で色々と揉まれたのでしょうか。

吉太郎という通称が記録されていることから、元服した≒少なくとも10代後半以上までは生きていたのは確かのようです。

『寛政重脩諸家譜』は、ここで終わっていました。

今回は、竹中半兵衛重治の祖先や子孫たちについて紹介してきました。豊臣政権は遠い彼方、養子でつないだとは言え、徳川幕府の第10代将軍の時代まで続いたとは驚きですね。

大河ドラマで言えば「べらぼう(令和7・2025年放送)」の時代。せっかくだからこの先も家名をつなげて明治維新を迎え、近現代まで続いてくれたらと思います。

話を戻して大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、菅田将暉演じる竹中半兵衛がどんな最期を飾るのか、心して見守っていきましょう!

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※参考文献:

  • 『寛政重脩諸家譜 第2輯』国立国会図書館デジタルコレクション

※トップ画像:大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより

 

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