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『豊臣兄弟!』さらば半兵衛…なんと江戸時代 中期まで続いた竹中半兵衛(菅田将暉)の子孫たちを一挙紹介

『豊臣兄弟!』さらば半兵衛…なんと江戸時代 中期まで続いた竹中半兵衛(菅田将暉)の子孫たちを一挙紹介:2ページ目

半兵衛の曾孫(4世代目)・竹中重高

寛永11年(1634年)生~延宝6年(1678年)9月2日没/45歳

通称は吉之丞(きちのじょう)、官途名は左京(さきょう)。生母は杉原長房女。

慶安4年(1651年)に第4代将軍・徳川家綱へ出仕して、寛文4年(1664年)12月10日に家督を承継します。

江戸城柳間(やなぎのま)に詰め、6千石のうち千石を弟の竹中重之に分け与え、これが後代の先例となりました。

死後の法名は永隆(えいりゅう)、芝の泉岳寺に葬られます。以後、竹中家の墓所は泉岳寺と定められます。

半兵衛の玄孫(5世代目)・竹中重長

寛文元年(1661年)生~天和2年(1682年)6月14日没/22歳

通称は吉之丞、官途名は主殿(とのも)、生母は池田長賢女。寛文10年(1670年)12月25日に徳川家綱へ出仕し、父を亡くした延宝6年(1678年)12月6日に家督を継承しました。

しかし22歳という若さで世を去ってしまい、子供がいなかったため、家督は養子の竹中重栄(しげよし)が受け継ぎます。法名は宗全(そうぜん)。

半兵衛の来孫(6世代目)・竹中重栄(しげよし)

寛文9年(1669年)生~宝暦10年(1760年)6月16日没/92歳

通称は元之助(げんのすけ)、官途名は主膳(しゅぜん)。実父は加藤重貞、生母は加藤茂吉女。

重長が亡くなる前に養子となることで、竹中の家督を存続できました。天和2年(1682年)12月16日に家督を継承し、明けて天和3年(1683年)2月7日に第5代将軍・徳川綱吉へ出仕します。

正徳5年(1715年)8月3日に大明院宮(公弁法親王。第111代・後西天皇皇子)のお供で京都へ赴任、享保14年(1719年)で引退するまで奉公しました。

それから30年以上も長寿を誇り、死後の法名は秀英(しゅうえい)と号されます。

半兵衛の昆孫(7世代目)・竹中元敏

元禄5年(1692年)生~宝暦3年(1753年)7月24日没/62歳

通称は元之助、官位は従五位下・丹後守。初名の竹中重顕(しげあきら)から竹中尹重(ただしげ)・竹中治行(はるゆき)そして竹中元敏と度々改名しました。

宝永2年(1705年)10月1日に徳川綱吉へ出仕し、父が隠居した享保14年(1719年)7月18日に家督を継ぎます。

宝暦2年(1752年)3月15日に大番頭(将軍護衛隊長)となりますが、翌年に大坂城の守衛任務中に世を去りました。

法名は徹心(てっしん)と号された通り、最期まで任務に忠実だったのでしょう。

3ページ目 半兵衛の子孫たち その3

 

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