朝ドラ【風、薫る】フユは本当に嫌な先輩?実在モデル・吉村セイは若き看護婦を導き慕われた“人格者”だった:3ページ目
明治時代「看病婦は吉原のやり手婆さん」だったことも
明治時代、軍が運営する病院では規則として「看病婦は40歳以上」と決められていたそう(若い娘だと男の患者が刺激を受けるため)。それで集まってきた看病婦たちの評判はよろしくなかったそうです。
〜「明治初年、東大附属病院で看病婦を雇ったとき、なり手がいなかったので、やむおえずに吉原のやり手婆さんを連れてきて看病をさせた」「そしてやり手上がりの看病婦が、65歳〜70歳くらいで長キセルをふかしながら、若い看病婦の取締にあった」(『明治女性史』)〜
〜看病婦は、莫連女(世間ずれしている女)で「出戻りかさもなくば、あばずれのしたたか者と思われるような者ばかり」(『職業夫人調査』)〜
など、ひどい言いいようの史料も複数存在していたそうです。
実際に、そのような人もいたようですが、すべてが同じ評価をされてしまっては、働いているほうとしては仕事へのモチベーションも下がるし、向上心も失うでしょう。
医師や病院側も、知識を学ばせる機会を積極的に作るわけでもなく、やる気のある人は、自分で見よう見まねで覚えるしかなかったようです。
ベテラン看病婦に感銘を受けた大関和
そんな状況で働く看病婦の前に、ある日突然、紺色のロングワンピースに真っ白なエプロンとキャップという、モダンなユニフォームの若い見習い看護婦が入ってきて「トレインド・ナースです」と名乗られても、「気に入らない」と思うのは無理もありません。
最初は、やる気がなくぞんざいな看病婦たちに呆れていたトレインド・ナース見習いたちですが、大関和は、吉村セイのような優秀なスキルを持つ人もいることを知り、学問として看護学を学んでいないけれども「長いキャリアを積み、その手でたくさんの命を救ってきたのだ」と改めて実感しリスペクトしたそうです。
確かに、医師の手術のスキルは重要ですが、「器械出し」をする人の手腕も問われます。
実際に、オペ室担当ナースは、手術の流れを先読みする高い集中力、流れを読む目、異変を察知する耳、器械出しの素早さ、長時間の手術にも耐える強靭な足腰、など非常に高いスキルを求められるとか。
それをテキパキとこなす姿を間近で見たら、尊敬しますよね。大関和は吉村セイからさまざまなことを学んだそうです。

