『豊臣兄弟!』なぜ長篠合戦を描かない?若き家臣団の登場と史実の違いを読み解く…第18回放送を考察:3ページ目
石田三成はどのように仕官した?
永禄3年(1560年)生~慶長5年(1600年)10月1日没
浅井滅亡後の元亀2年(1571年)に父と次兄が秀吉に従ったため、概ね同時期に仕官したものと考えられます。
まだ10代前半と若かったため、秀吉の小姓として仕えたという説もあるようですが、一次史料からは確認されていません。
なお三成と言えば有名なのが三献茶(さんけんちゃ)のエピソード。秀吉が鷹狩りの帰りに寺へ立ち寄り、茶を求めたところ、小坊主が最初に大きい茶碗でぬるい茶を出しました。
二杯目・三杯目と飲み進めるにつれて、次第に茶碗が小さく、かつ熱くされたと言うのです。
これは「相手の喉の渇きに合わせて、最初はすぐ飲めるぬるい茶を多量に、二杯目以降は香りを楽しめるよう茶を熱くする」という気づかいでした。
小坊主の利発な配慮に感心した秀吉は、寺に頼んで小坊主を召し抱えたということです。ただし、このエピソードは『武将感状記』など後世の創作と考えられています。
平野長泰はどのように仕官した?
永禄2年(1559年)生~寛永5年(1628年)5月7日没
父の平野長治(ながはる)が羽柴家に仕えていたことから、天正7年(1579年)に21歳で仕官しました。
劇中ではいきなり乗り込んできたような雰囲気でしたが、いわば世襲の家臣であり、実は既にレールが敷かれていたようです。
後に加藤虎之介や福島正則、片桐且元らと共に「賤ヶ岳の七本槍」と讃えられました。一番槍の大手柄がどのように描かれるのか、楽しみに見守りましょう。
片桐且元はどのように仕官した?
弘治2年(1556年)生~慶長20年(1615年)5月28日没
父の片桐直貞(なおさだ)と同じく浅井家に仕え、浅井滅亡後の天正2~7年(1574~1579年)ごろに羽柴家へ仕官したと考えられています。
しばらく浪人していたのか、あるいは早々に仕官したのか、はっきりしたことはわかっていません。
前述の通り武功によって「賤ヶ岳の七本槍」と賞され、秀吉亡き後も豊臣政権の中核を担う一人となります。


