『豊臣兄弟!』なぜ長篠合戦を描かない?若き家臣団の登場と史実の違いを読み解く…第18回放送を考察:2ページ目
秀吉が疲れた「地獄」の越前一向一揆とは?
朝倉滅亡後の混乱に乗じて朝倉旧臣の富田長繁(とんだ ながしげ)が土一揆を煽動して越前一国を奪い取ったかと思えば、わずか一ヶ月で一向一揆が勃発して政権が転覆した事件です。
ちょうど織田政権にとっては石山本願寺との抗争や武田家の脅威、長島一向一揆などの対応に追われていたため、越前国を奪還する余裕がありませんでした。
しかし天正3年(1575年)8月に信長自ら3万とも言われる大軍を率いて越前国へ乗り込み、一向一揆を根絶やしにしたのです。
討ち取った敵は数知れず、処刑した捕虜はおよそ1万2千、奴隷として連行した人数は3万とも4万とも言われています。
信長は、残党を草の根分けても探し出し、女子供に年寄りだろうが構わず斬り捨てるよう厳命。今度ばかりは秀吉も容赦なく任務を遂行したのではないでしょうか。
また前田利家(大東駿介)が一揆衆1千ばかりを磔(はりつけ)や釜茹でという残虐な方法で処刑したことでも知られています。
劇中での秀吉は、疲れたと言うばかりで詳しく語られていませんでしたが、現地ではこんなことがあったのでしょう。
加藤虎之介と福島正則の生い立ちは?
加藤清正(虎之介)
永禄5年(1562年)6月24日生~慶長16年(1611年)6月24日没
福島正則
永禄4年(1561年)生~寛永元年(1624年)7月13日没
虎之介は秀吉の再従兄弟(またいとこ)、正則は秀吉の従兄弟とされています(諸説あり)。虎之介は天正元年(1573年)に秀吉の小姓として仕え、正則も概ね同時期に仕えました。
後に豊臣政権を支える名将へと成長していく二人を優しく見守っていた寧々(浜辺美波)は、彼らを実子の如く慈しんでいたようです。
寧々と虎之介・正則の絆がどのように紡がれていくかも、今後の見どころとなるでしょう。
3ページ目 石田三成、平野長泰、片桐且元はどのように仕官した?

