朝ドラ【風、薫る】りんの運命を大きく変える外科医…今井益夫(古川雄大)のモデルとされる佐藤三吉の史実:2ページ目
現在の東京大学病院がモデルとされる「帝都医大病院」
さて、前項でも触れたように、ドラマの「帝都医大病院」のモデルとされているのは、『帝国大学医科大学附属第一医院(現在の東京大学医学部附属病院)』です。
その歴史は古く、安政5年(1858)に設立した「神田お玉ヶ池種痘所」を起源としています。江戸の蘭学者たち82名が資金を出し合い、痘瘡の予防接種の普及を図るための集会所で、勘定奉行の川路聖謨の屋敷にあったそうです。
その後、名称を何度か変えながら、明治10年(1877)には「東京大学医学部附属病院」、明治19年(1886)には「帝都大学医科大学附属第一医院・第二医院」に改称。ドラマはこの時代をモデルにしたとされています。
実際に、「帝都大学医科大学附属第一医院」は、単なる病院ではありませんでした。医学生の臨床実習を行う場・医師が最新医学を実践する場・西洋医学を日本に定着させる拠点となっていたのです。のちに大関和は、この病院の外科看護婦取締に、鈴木雅は内科看護婦取締になります。
当時、同病院は日本でもトップクラスの病院でした。ところが、「女性が働きづらい職場」でもあったようです。
『風、薫る』の原案『明治のナイチンゲール 大関和物語』の著者、田中ひかるさんによると、「当時の病院は完全な男社会。大関和は最先端の看護学を学んだトレインド・ナースとしてプライドを持って働いていたものの、男性医師たちは彼女たちを一人前の職業人とは見なさなかった」そう。
また、驚くことに「“女性は生理で感情的になるから、職業に就くのには向かない”とい教える学校もあり、科学的根拠のない差別が続いた」とのこと。
「能力やスキルを身に付けた女性が社会で活躍する」ことに、自分の居場所を脅かされるような脅威を感じ、「女は学問を身に付けず結婚して家庭に入り、夫を支えるのが務め」と、家の中に閉じ込めようとしたのでしょうか。“女より男のほうが能力が上”と思うことで、自分のプライドを支えていたのかもしれません。
史実では、大関和はそんな環境に我慢できず、看護婦の待遇改善を求める建議書を提出して、同病院の男性医師たちからにらまれ職場を追われてしまいます。
明治23年(1890)和から建議書を提出され、新潟高田にある知名堂病院に移ることを進めたのが、同病院の外科教授を務めていた実在の人物・佐藤三吉。「風、薫る」のドラマの中では、今井益夫(古川雄大)です。

