手洗いをしっかりしよう!Japaaan

「天皇」も「日本」も最初からあったわけではない?天皇家の系譜から読み解く古代史の謎【前編】

「天皇」も「日本」も最初からあったわけではない?天皇家の系譜から読み解く古代史の謎【前編】:3ページ目

「王朝交代説」による三つの皇統

では、もし皇統が「万世一系」ではないとすれば、どのように分かれるのだろうか。

そこで注目されるのが、1950年代以降に盛んになった「王朝交代説」である。本稿ではこの説をベースに、筆者の見解を述べていくが、詳細な論証は膨大となるため、ここでは要点にとどめたい。

初代・神武天皇から第9代・開化天皇までは「闕史八代」と呼ばれ、実在性は疑問視されている。

実在の可能性が高い最初の天皇は第10代・崇神天皇である。この系統は第14代・仲哀天皇まで続く。これがいわゆる「崇神王朝(三輪王朝)」である。

次に現れるのが第15代・応神天皇で、この系統は第25代・武烈天皇まで続く「応神王朝」だ。いわゆる「倭の五王」はこの系統に含まれる。そして、現在の皇統に繋がるとされるのが第26代・継体天皇であり、これが「継体王朝」とされる。

このように、歴史上実在した王朝は、「崇神王朝」「応神王朝」「継体王朝」と考えられている。もっとも、今後の考古学的発見によって、これらの間に血縁的繋がりが確認される可能性もある。

例えば、崇神朝の末期にあたる仲哀天皇の皇后・神功皇后と、その子とされる応神天皇の関係である。神功皇后は長らく伝説上の人物と見なされてきたが、奈良県磯城郡の島の山古墳の発掘成果により、実在の可能性も議論されるようになった。

同様に、応神王朝と継体天皇との血縁関係についても、今後の研究次第で再評価される余地がある。

では[前編]はここまでとしたい。[後編]ではいよいよ、「天皇」「日本」という名称がいつ頃から使われるようになったのかを紐解いていこう。

※[後編]の記事はこちら↓

「天皇」も「日本」も最初からあったわけではない?天皇家の系譜から読み解く古代史の謎【後編】

私たちは普段、何の疑いもなく「天皇」「日本」という言葉を使っている。しかし、この二つの名称はいつ生まれ、そしていつから使われはじめたのだろうか。[後編]では、「天皇」と「日本」という称…

※合わせて読みたい:

盲目的な愛の果てか?歴史的冒涜か?女帝・孝謙天皇が強行した道鏡の皇位継承問題とは【前編】

奈良時代後期の769年(神護景雲3年)、九州・大宰府から朝廷を震撼させる知らせが届いた。「僧・弓削道鏡(ゆげのどうきょう)を天皇に立てれば、天下は泰平になる」。宇佐八幡宮の神託として伝えられた…

驚愕の古代史!卑弥呼はなぜ女王になったのか?邪馬台国誕生の裏にあった異常気象と“倭国大乱”[前編]

邪馬台国の成立やその所在地については、江戸時代から現在に至るまで数多くの説が唱えられているが、決定的な結論には至っていません。しかし、邪馬台国成立以前の日本列島に「倭国大乱」と呼ばれる動乱期が…

なぜ伊勢神宮が「日本人の総氏神」と称され別格扱いされるのか?——神社と神様の素朴な疑問【前編】

2025年が明け、新たな年が幕を開けました。昨年は、幸いにも大規模な災害こそ起こらなかったものの、日本各地では事故や自然災害が相次ぎました。加えて、物価高騰はいまだ収束の兆しを見せず、多くの課題を抱え…

※参考文献
網野善彦著 『日本の歴史をよみなおす』ちくま学芸文庫
古田武彦著 『奪われた国歌君が代』情報センター出版局

 

RELATED 関連する記事