【豊臣兄弟!】朝倉氏ついに滅亡…それでも“再興”を諦めなかった男・朝倉景嘉の決断と末路:2ページ目
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上杉謙信を頼って越後へ
そんな景嘉は朝倉宗家が滅亡し、一族もまた破滅の末路をたどっていく中、越後の上杉謙信(工藤潤矢)を頼って落ち延びました。
さて越後では謙信が景嘉を快く迎え入れ「織田勢を討ち払い、上洛を果たした暁には越前の一城を与える」と確約したそうです。
あれ、越前一国じゃないの?謙信って意外にケチ?……と思ったかも知れません。
しかし考えてみれば、景嘉はそもそも大名ではなく、一家臣に過ぎない立場です。城一つであっても御の字と言うべきでしょう。
ともあれ「毘沙門天の化身」謙信の後ろ楯があれば心強い……しかし天正6年(1578年)3月13日に謙信が急死したため、上洛の計画は頓挫してしまいました。
謙信には子がいなかったことから間もなく後継者争いが勃発し、上杉家中に居場所がなくなったせいか、景嘉は越後から姿を消します。
そのまま景嘉の消息は絶たれ、再び歴史の表舞台に登場することはなかったということです。
終わりに
今回は朝倉再興を志した朝倉景嘉の生涯をたどってきました。戦国大名としての朝倉氏は滅亡したものの、彼らの血脈は後世に受け継がれていきます。
大河ドラマでは描き切れないと思いますが、彼らの活躍にも興味を持ってもらえたら嬉しいです。
※参考文献:
- 松原信之『越前朝倉氏の研究』吉川弘文館、2025年10月
- 松原信之編『朝倉義景のすべて』新人物往来社、2003年7月
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