江戸庶民が払っていた負担感ゼロの「見えない税金」とは?江戸幕府を270年支えた知られざる財源:2ページ目
家康の財政術
さて前述の通り、全国の人々は幕府が鋳造した貨幣を使うしかなかったため、幕府が決めた価値で貨幣を入手し、交換することになります。
徳川家康が整えたこのような貨幣制度は、長年にわたり幕府財政の安定に大きく貢献しました。
また、こうした貨幣鋳造益は、年貢のように収穫量・市場の景気・天候にも影響されにくい安定財源だったのも大きなメリットでした。
江戸時代の270年間で米価は相対的に下がり、年貢収入の価値は低下していきます。
しかしその間も貨幣鋳造益はむしろ増えており、幕府財政の三割以上を占めるまでに成長します。
幕末にはその割合がさらに高まり、幕府財政の根幹を支える存在となっていました。
こうした背景があったため、幕府は年貢を無理に引き上げる必要がなく、農民の負担は一般に考えられているほど重くなかったのです。
地域差はあったものの、江戸時代の農民は他国の農民と比べても比較的安定した生活を送れたと考えられます。
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